2005.1


2005.1.24 セカンドオピニオン
その後も一向に食が進まない父。
日に日に外見的にもその衰弱は見て取れるまでになってしまいました。
が、根が頑固な父です。
母は誠心誠意父の思いを尊重しつつ、それでもなお母なりに必死に食事を促し、あれこれ関わりを持ってはみるものの、やはり「気持ち」が萎えてしまった今、そう簡単に食欲が増す事は困難な状態です。

年末、通院先の大学病院で処方された「エンシュア」さえ、今では全く喉を通らないまでになってしまいました。

ここ数ヶ月の父の著しい身体症状の低下・衰弱を見聞きするにつけ、今後急変時の搬送先を確保しておく必要があるだろうとの思いから、私は水面下で県内の某県立病院を検討していました。
ここでもやはり元来の「お節介」の一面を抑える事が出来ずにいる私。

実は、これまで父は地元にホームドクターを持っておらず、それでもこの4年間は何とか週に1度の化学療法を受ける為、片道1時間半の距離を電車で通院してきました。
が、この状態では、もはや1時間半もの距離を通院する事は難しいはずです。
ましてや、いざという時に、この距離を行き来する事はまず不可能です。


例え「食」への「欲」を喪失してしまったとはいえ、未だ積極的治療を望んでいる父。
むしろそれは私達家族の意思でもありました。
恐らく父にとって、暗黙の内に、私達家族の目に見えないプレッシャーから、そうせざるを得ない状況にまで追い込まれていたのかもしれません。

そんな私達家族にとって、父の「死」については決して直視出来る事ではなく、敢えて目を背けてきた事でもあります。
が、そんな思いとは裏腹に、皮肉にも全身状態の衰弱が日に日に進んでいく父・・・。
やはり父にとっての「最期の場所」を確保したいとの思いから、敢えて「緩和ケア」病棟のある某県立病院へセカンドオピニオンへ行く事に決めました。

但し、現時点ではまだ父へは何も伝えずに。
父自身、積極的治療への希望を持ち続けている限り、本人の意思が何より大切です。
この4年間、執拗に自身の考えを押しつけ過ぎてきた事に後悔し始めていた私にとって、今回もまたいらぬお節介だと父に煙たがられそうだとは思いましたが、せめて父には内緒で別の病院を確保しておきたい一心でした。



2005.1.23 退職を決意
先日、ついに上司に退職の意思を伝えました。
退職については、かれこれもう2年近く前から思ってはいました。
現在の職場は、主として老人、それも重度の痴呆患者様を対象としています。
従って、業務の大半が「介護」の領域であり、詳細については敢えてここでは書きませんが、私自身、日々の業務の随所に「看護観」や「方向性」の相違に疑問を抱き戸惑いを感じる毎日でした。


もし。。。
もし父の癌告知がなけれぱ・・・。
きっと私は何の疑問も感じずにこれからもこの病院で働き続けていたかもしれません。
が、父の癌告知を期に、私の中の「価値観」や「看護観」「死生観」、様々なものが一転しました。

別に痴呆老人を差別しているわけではありません。
日々の関わりを通じて、患者様から学ぶ事は実に多く、その上現在の職場は人間関係も非常に良く、私自身毎日楽しく働く事ができ、とても充実した日々を送ってきました。

が、やはり心のどこかでしっくりいかない自分自身がいました。
そんな気持ちをずっと抑え、職場では持ち前以上の自分を演じ、心底疲れた毎日でした。
時に「精神安定剤」「睡眠薬」を服用し、自分自身にハッパをかけつつ、突っ走ってきた・・・そんな毎日でした。


一般病院・施設での入院・入所が困難とされるほどの重度の痴呆患者様。
70代〜90代の患者様と日々関わる中で、やはり私の心のどこかでは「大切な父親に何もしてあげられていないのに、そんな私が目の前の高齢患者様を相手に関わる」という事に抵抗を感じ、疑問を感じ、そんな自分に嫌気がさしていました。
そんな毎日に、正直、もう限界でした。

特別な原因疾患はなくとも、やはり加齢に伴う身体機能の低下は仕方のない事です。
食事介助をしながら、何度もむせ込み、それでもなお「食べる」事への「欲」
だけは失わない・・・。
人間の「欲」の果てしなさ・・・。
看護師として、そんな状態であろうとも、やはり経口での摂取を促す事は必要な関わりですので、当然私は疑問を感じつつも、誤燕のないよう十分注意しながら食事介助を行ないます。

が、私が本当に関わりたい人・・・。
その父親はここ1ヶ月間、「食べる」事への「欲」を失い、それに対して私は何の関わりも持てずにいるのです。
目の前の患者様の多くは、1日3食きっちり摂り、実に丸々と肥えています。
少しの発熱にも的確な治療を施され、もはや本人の意思とは無関係に生かされています。
私が日々関わる患者様からみれば年齢的にも遙かに若い父。
まだまだ「生きる」権利は十二分にあるはずです。
なのにその父は、癌であるがゆえに手の施しようが無く、「生きる」権利すら与えてはもらえずにいます。

そういった様々な矛盾や疑問を感じながら働いてきた 事に精神的にももう疲れてしまいました。

そしてそれは、何より患者様に対して失礼な事であり、私自身、何もこんな時に・・・という母のアドバイスをも拒み、結局退職する決意をしました。


現在の職場は2月末にて退職。
幸いにも、翌日3月1日からは某市民病院に内定を頂いています。
残り僅かの勤務、私なりに精一杯頑張ろうと思っています。



2005.1.22 初めての「患者会」へ
今日、初めての「患者会」なるものに出席してきました。
以前から訪問させて頂き、そのHPの主旨にも大変共感を持つと同時に、管理人様が管理・運営されていらっしゃる「患者会:語り合いの会」に関心を持っていました。
※詳細はサイト「風の吹く場所」をご覧下さい。


実際に同じ立場にある方々のお話を聞かせて頂けるという事・・・。
今の私にとって何にも代え難く、そして同時に、現在も様々な病と向き合い前向きに生きていらっしゃる方々のお話を聞かせて頂き、とても充実した時間を過ごす事が出来ました。

何故もっと早くこういった場に出向かなかったのか・・・。
今はそれが残念で仕方ありません。

もしもっと早くにこういった場に出向いていられれば、きっともっと違う形で父との関わりを持つ事が出来たかもしれません。
そして何より、父をこれほどにも追いつめずに済んでいたのではないか・・・。
やはり後悔しています。


看護師としてこれからも働いていく中で、やはりいずれは、同じような立場にある患者様やご家族の方々に、看護師として何らかの関わりを持つ事が出来ればいいなぁ・・・と、今更ではありますが、やっと自分自身の看護師としての「見通し」「目標」を持つ事が出来ました。


まだまた人間としても、看護師としても半人前の私。
でも、いつの日か、この経験を生かせる日が来れば・・・と思っています。



2005.1.21 私、疲労が溜まって・・・
年末からずーっと風邪気味の私。
かれこれここ数ヶ月、掛かり付けの内科へ通院していました。
年末には医師の「必要ないですよ」という言葉をはねのけ、胸部CTを撮りましたが、異常なし。
その後も何とか咳は治まってはいたのですが、昨日当たりから悪寒がひどく、持病の肩凝りに伴う偏頭痛も増し、今朝は遂に仕事を休んで再度病院へ。
抗生剤の点滴を受け、帰宅。
普段は点滴する側の私ですが、今日ばかりはただの「患者」の1人にすぎません。
が、お陰で夜にはほぼ改善しました。

改めて、私はこんな風邪ごときで大騒ぎし、何て愚かな人間なんだろうと。
と同時に、「胸部CT:異常なし」にホッとしている私自身に、どこか自分自身の中に潜む身勝手さを感じてしまいました。



2005.1.20 敢えて「告知しない」という選択
今や癌の「告知」は治療をしていく上で、さも当たり前のようになっています。
しかし、それは何も最初の1度に限った事ではありません。
癌の病状やステージにもよりますが、闘病中には数々の「告知」を強いられます。
定期的な検査を受ければ、必然的にその結果を聞かねばなりません。
ステージが進めば進むほど、告知の内容も当然シビアなものとなり、ましてや、その多くは改善策の得られない類のものが増えていきます。
【「告知」されたはいいが解決策が何もない・・・】では、患者・家族にとってはたまったものではありません。
しかし、そんな八方塞がりの状況下にある患者にもなお、追い打ちをかけるかのような「告知」をしたがる医師が多くて、心底困惑してしまいます。

「告知」は実に難しい問題なのです。
患者本人の性格はもちろんの事、その病状やステージによっては、やはり「告知しない」事もまた大切な治療の1つであると私は思います。
時として、それこそが医療従事者の「配慮」であり、患者を支える家族のせめてもの「優しさ」であると・・・。

医療従事者はお役所仕事とはその点が全く異なります。
要するに「マニュアル」が一切通用しないのです。
癌であるからといって、全ての患者に「告知」が必要であるとは限りません。
患者の病状はもちろんの事、性格やこれまでの経過をよく吟味した上で、告知の「タイミング」も十分考慮し、慎重に行なって欲しいものです。
そして何より、告知後のフォローが出来ないのであれば、やみくもに告知するのは実に問題でしょう。

よく生命保険のCMで「癌と告知されたその日から、告知される度に何度でも!」というフレーズ・・・。
あまりに「告知」を軽々しく捉え表現しているそのCMが流れる度に、私は憤りを感じ、気付けばチャンネルを変えています。


より良い医師・病院の見極めは、まさに告知に対する「配慮」、そしてその後のフォローにかかっているように私は思います。


今回の主治医の判断は、単なる「診療行為」に基づくマニュアルではなく、父という人間性を主治医なりにしっかりと分析した上での対処であり、私達家族にとっては大変感謝しています。



2005.1.19 初めて父についた「嘘」、そして・・・
これまでの4年間、私達家族は、癌に関する一切を父に「告知」し、共に過ごして来ました。
4年前の告知の仕方には、未だ憤りを感じている私ですが、これまでの数々の治療をこうして行なっていく上では、やはり父自身、自らの病状を知る必要があったように思います。
仮に4年前、父にその病状を告知しなかったら・・・。
きっとこのような治療は出来なかったでしょうし、ともすれば、父は既にこの世にはいなかったかもしれません。

何も今回の告知が2度目というわけではなく、癌と告知されたその日から、私達家族は数々の「告知」を受け、その度に父と話し合い、その時の自分達にとって最善の方法を選択し、これまでやってきたつもりです。

ですが、今回の事実に関して、敢えて父に伝えないという「選択」・・・。
主治医は私と母の意向を聞くまでもなく、主治医なりにこれまでの父との3年間の関わりの中で、敢えて「告知しない」方針を打ち出していたのです。
その主治医の意向には私と母も同感ですし、そんな主治医の「配慮」に心から感謝しています。

と同時に、「告知」するという事は、往々にしてその現実の厳しさを当の本人に知らしめる事にも繋がります。
場合によっては(父のように患者自身がその現実を受け止め切れないタイプの場合)、告知の仕方次第によっては、闘病意欲低下を招く危険性があるという事を、これまでの4年間を通じてイヤというほどに感じました。

ですが、その反面、父自身に全て告知してきたお陰で、何らかの選択を強いられた際、隠し事がない私達家族は、その事について比較的オープンに父と話し合う事が出来ました。

が、やはり父にとっては本当に辛い4年間だったに違いません。
父の性格ゆえ、厳しい検査結果の数々を聞かされる度、むしろそれをバネに前向きに生きるというよりも、結果的には「生きる意欲」そのものを父から奪ってしまう事になったのではないか・・・。
今ではそんな風に思うと同時に、全てを告知してきた事に、後悔すらしています。

というのも、私達家族は、父に辛い現実を全て伝えた事により、自らの「重荷」を知らず知らずのうちに父1人に背負わせてきたのではないか・・・。
父にはもはや背負いきれないほどの荷物を私達家族は押しつけてしまったのではないか・・・。
そんな風に思ってしまうのです。


そんな後悔を持ち始めていた私達家族としては、今回初めて父に敢えて「告知しない」という選択をし、初めて父に「嘘」をつく事となった私達家族。

そんな今、初めてこれまでの4年間がいかに「楽」であったか・・・という事に気付かされました。
今回の十二指腸原発癌についても、当然父自身の事であり、本来ならばその現状を知った上で父の意思確認を得る事こそが私達家族の役目なのかもしれません。
しかし当の本人はその事実を知らず、ましてや「潰瘍」だと思いこみ、一縷の希望を持っているのです。
純粋に意志からの説明を信じ、父なりに明日への希望を持ち続けようとしている・・・そんな父を騙している事に罪悪感でいっぱいです。

でも今回の選択は決して間違ってはいない・・・。
少なくとも母と私はそう思うと同時に、結果的にそうでありたいと願っています。


ごめんね、お父さん。
私、初めてお父さんを騙してしまったよ。
でもそれは私や母にとっても散々悩んだ上での決断だったのです。
正直、お父さんを騙す事は辛いです。
心が痛いです。
でも・・・お父さんの事を思うがあまり、やはりこれ以上の現実を知らせる事だけは、今の私達家族には出来ません。

これからも「嘘」を突き通し、それこそがお父さんへの私達家族が出来るせめてもの「優しさ」のつもりなのです。
こんな私をどうか許して下さい。お父さん。。。


2005.1.18 更なる「告知」
その後も日に日に食欲が落ちている父。
食欲低下に伴い、やはり体力的にも以前のようにはいかず、1日中炬燵に横になって過ごす事が多くなった父。
当然、全身の筋力も落ちてしまいます。

そんな父ですが、1週間に1度の通院だけは、朝早くから準備をし、病院までの足取りも軽いようです。
以前は父1人で通院していましたが、ここ最近は「道中何があるか分からないから・・・」と、母も付き添うようになっています。
そんな母が追いつけないほどに足早に病院へ向かう父。

今の父にとって、やはり「病院」へ行くという事は大きな「目標」であり、生きる希望でもあるようです。


そんな父の願いが通じたのでしょうか・・・。
今回は何とか血液データも問題がなく、オペ後初めての「肝動注」を施行する事が出来ました。
その際、主治医から先日の検査についての説明がなされました。
というのも、ここ数ヶ月の著しい食欲低下、そして長期に渡る原因不明の下痢や、時に血尿を認めていた父。
そこで、先日の入院中、胃カメラと腹部CTを受けていました。


父と母を目の前にし、主治医は。。。
『血尿については別段問題なかったようです。
但し、食欲低下に関しては、やはり、
胃潰瘍が出来ていたようです。
ご主人、あまりクヨクヨ考え込まない方がいいですよ。
もっと気持ちを明るく持たれた方がいいですよ!』
と。


「潰瘍」程度(!)で済んで、まずは良かった!!
ホッと胸をなで下ろし、父と母は診察室を後にしました。
父は肝動注施行の為、引き続き処置室へ。
母は待合室でしばし待つことに。
とその時、再び母1人が呼ばれ、診察室へ。


主治医は、先程とは少し顔色を変えつつも「奥様に少し話しがありますので」と、あくまでも冷静に話しを始めました。
『先日撮った腹部CTですが・・・。
どうやら
十二指腸に新たな腫瘍が出来ていたようです。
転移性のものではなく、原発の癌だと思われます。
が、こういった症例は実に珍しく、今後肝硬変に移行した場合、急激な悪化をきたす恐れがあります。
お父さんはどうやら癌が出来やすいタイプなのかもしれません。
お父さんの病状から察して、現時点では、もはやこれ以上の積極的な治療は意味を持たないでしょう。
ですが、この3年間、お父さんの様子を見させて頂いて、やはりお父さんはこの病院に来る事が生きる希望でもあるようですし、これからも出来る限りここへ来て治療を続けられた方が良いように思います。
ですが、この事実を敢えてお父さんに伝える事は、更なる気力低下を招きかねません。
ですので、今回は奥様だけにお話をさせて頂きました』



最初の説明とはうって変わり、突如予想もしなかった事実を聞かされた母。この場に及んでもなお、私達家族を襲う更なる試練。


診察室を後にし、再び待合室に戻った母。
が、不運にも父の方が少し早く処置室から出ていたらしく、「一体どこへ行ってたんや?」と母に聞いたそうです。
母は「あ、ごめん。ちょっと喉が渇いてしまって・・・売店にジュース買いに行ってたから」と。
何事もなかったかのように振る舞い、父に勘づかれては困ると、その場しのぎの嘘をついた母。


そんな母の自然な振る舞いのお陰か、何とか父には気付かれる事なく、久々の肝動注を施行する事ができ、父は普段見せないような笑顔を浮かべ、家路に着いたようです。


その日の夜、「何が何だか・・・その時の事、さっぱり覚えていない」と、こっそり私の元に電話をしてきた母はポツリと言いました。
もちろんです。
母でなくとも、その状況下に置かれれば、私だってきっと同じでしょう。


私自身、予想さえしなかった今回の事態に動揺せずにはいられません。
電話を切った後、何ともいえぬ苛立ち・不安・恐怖・・・とても言葉では表現しきれない様々な思いが入り乱れ、涙すら出ない状況でした。

と同時に、今日1日、母は突然の「大役」を任され、さぞや辛かっただろうなぁ・・・と。
改めてこういう肝心な時、何もしてあげられない自分自身に嫌気がさしてしまいました。


思わぬ事態に、私達家族はまた1つ重い課題を突きつけられ、これから私達は一体どうすれば良いのでしょう。
本当に辛い事ばかりです。

なのに明日もまた仕事です。
こんな気持ちを引きずったまま、職場では何事もないかのように振る舞う私。そんな毎日が・・・本当に辛いです。



2005.1.13 食欲不振が続く・・・
1月7日、午後には退院しました。
自らの足で、家路についた父。
お陰様で今回のオペも無事成功し、まずは一安心です。
父にとっては間違いなく辛い治療ですが、やはり「生きたい」という思いがあればこそ、父は今回のオペにも同意し、頑張ってくれたんだと思います。
それは私達家族にとってもまた嬉しい事です。

が、退院後もやはり父の食欲は全くすすみません。
昨年秋、肝臓内:再発部位がかなり大きくなっているという事実を知らされたその日を境に、父の食欲は見る間に落ちていきました。

長年58sだった父の体重は50sにまで落ちてしまいました。

「食べたい」のに「食べれない」のではなく、父の場合「食べたくない」のです。「食べる」という意欲がまるで失われてしまった父。

食べる事への欲を失った者のその後・・・を、イヤというほど臨床で見ている私にとって、やはり今の父の状態は私達家族の不安を増強させます。
そんな父に、一体どのように関わっていけば良いものか・・・。


そんな状況下にある私達家族の事など何も感じる事のない私の夫は、今日も仕事を終え、隣の部屋でお菓子を頬張り暢気にテレビゲームをしています。
辛いです。

1つ屋根の下にいながらにして、私と夫の置かれている状況・・・あまりに違いがありすぎるのです。



2005.1.5 2泊3日の入院 (2005.1.5〜1.7)
1月5〜7日、通院先の病院に短期入院。
この入院が決まったのは昨年暮れ。
主治医の判断で、早急に入院の手配をしてくれ、私達はお正月気分などないままに、今回の入院の日を迎えました。
父の入院が決まった時、急遽シフトの変更を申し出、私は休みを取って、母と共に父の入院に付き添いました。

今回の入院の目的。
肝動注留置カテーテル内の新生血管を詰めるオペ、及び年末から頻繁に生じていた血尿の精査目的。
オペ自体は、局所麻酔下で行える比較的簡単なもの。
しかし、血小板のデータが低い父。
やはり切開部位の止血に時間を要し、結局病室に戻ってきたのは3時間後でした。
結局、新生血管は4箇所にも伸び、それらは胃へ通じていた為、前回の肝動注の際、やはり薬剤の大半が胃に流れ込み、予想以上の副作用が生じたとの事。
これでもうあの辛い副作用に悩まなくて済むのです。
正直、ホッとしました。

と同時に、術後、病室までストレッチャーで搬送されてきた父を見た瞬間、何とも言えぬ気持ちでいっぱいでした。
もちろん今回の入院は父自身も納得した上の事です。
でもこの4年間、何度となく父には辛く痛い思いをさせ、果たして本当にそれで良かったのか・・・正直、悩みながらの毎日でした。

術後、床上安静を強いられ、それを素直に守っている父。
静かに天井を見つめ、こんな時もなお、自ら何かを語ろうとはしない父です。
そして、その体は既に痩せきっており、布団から出ている父の手は、もう4年前・・・社会の第一線で働いていた頃の父の手とは随分違って見えました。

病室を後にする時、父と握手して別れました。
「元気にまた家に帰って来てね!」と。
父は静かに頷き「気を付けて帰れや」と。

私はそんな父が大好きです。