〜 2004年を振り返って 〜



父、そして今の私達家族 W 〜母の心労〜
先にも書いたように、ここ数ヶ月、父の食欲は急激に落ち込んでしまいました。
年末にその旨を主治医に伝え、何とか流動食を処方されました。
私の勤務先でも頻繁に処方されている「エンシュアリキッド」というドリンクです。
1缶(250ml)当たり、約250キロカロリー。
これを毎食若しくは、食欲がない時の補助食として・・・というものです。
が、かなり濃厚な味付け。
なかなかそう飲めるものではありません。
案の定、最初の数日間は飲むように心掛けていた父も、次第に見向きすらしなくなってしまいました。

以前は自らの食生活を改め、苦手な野菜や魚も頑張って食べていた父です。
しかし、最近ではすっかりそういった食事には抵抗を示し、かといって今更大好きだった肉類など、体が既に受け付けなくなってしまいました。
父の頭の中では「肉を食べる=癌が進行する」という図式があるようです。

以前から食べ物にはあれこれ口うるさかった父ですが、最近では益々その我が儘に拍車がかかり、かといって摂取量も格段に減ってしまい、食事作りには以前にも増して母を悩ませているようです。


癌に限った事ではありませんが、やはり患者のそばで終始付き添う立場にある者のストレス・・・。
これは決して綺麗事で済まされるべきものではありません。
事実、この4年間、周囲の誰にも相談する事なく、実に閉鎖的な環境の中、それら全てを母が担ってきました。
父自身、自らの病についても未だ無知な人ですし、日々の体調の変化についても決して表現するような人ではありません。
「下痢が続いている・・・」その事実さえ、何度も父に聞き、3ヶ月も経ってからやっと口にするような父です。
そういう父だからこそ、母の精神的疲労は相当なものだと思います。

娘として、父はもちろんの事、母の事もとても気掛かりです。
母には以前のようにとはいかなくとも、限られた時間の中で、少しでも自分自身の時間を持って欲しいですし、夫婦とはいえ、ましてやこういう状況下にあるからこそ、お互いに適度な距離を保つ事もまた必要なのではないかと思っています。

でも母はそれが出来ない人なんですよね・・・。
「父を1人家に置いて私だけ外へは行けない」母の口癖です。
そうやって父と母は今までずーっと仲良く過ごしてきたのだから、無理もないのですが。

仲の良い夫婦。
私にとって理想の夫婦像である父と母。
でもこんな時、ふと「仲の良い夫婦」故に、今本当に辛いんだろうなぁ・・・と思ってしまいます。
夫婦が互いに1人の時間を過ごす事に慣れていない父と母。

その点、私と夫は互いの時間を大切にし、適度な距離(?)を十分に保ち、それはそれで良い関係なのかもしれませんが・・・。


父、そして今の私達家族 V  〜大晦日、そして新年〜
◇ 2004年12月末〜新年の幕開け ◇

結局、先日(昨年暮れ)の突然の嘔吐の原因について主治医のムンテラによれば・・・。

【1年もの間「肝動注」を中断していた為、肝動脈留置カテーテル内の一部から新生血管が生じ(胃や十二指腸へ)、それによって抗ガン剤が胃や十二指腸に漏れだしてしまい、極度な副作用が生じたのだろう】
との事でした。

ヒトの体って、時として「迷惑」な事態を引き起こしてくれるものです。


ひとまず、年明けにカテーテル内部の状態を探るべく、2泊3日の入院をする事となりました。


お正月気分など、我が家には感じる余裕もなく、とにもかくにも今年もこうして父と共に新年を迎えられた事に、ただただ感謝するばかりです。


元旦は、夫婦揃って双方の実家へ出向きました。
父の事があって以来、私は夫の実家へ行くのが心底億劫になってしまいました。
別段、夫の実家がそれほど裕福なわけでもなく、大それた人生を歩んでいるわけでもありません。
人並みの・・・ごくありふれた家庭です。
なのに。
今では、そんなごく「ありふれた」「平凡」な家族(家庭)でさえ、疎ましく思ってしまう私です。

当たり障りのない会話をし、半年前晴れて定年を迎えた舅の「今後の夢」とやらを聞かされました。
意気揚揚とあれこれ自らの「今後」について語る舅・・・。
でも残念ながら、今の私には、そんな話に耳を傾けるだけの余裕がないのです。


午後からは夫、そして2人の子供達を連れて私の実家へ。
恐らく、前回夫が私の実家へ足を踏み入れたのは半年以上前の事。
傍目にもすっかり痩せ細ってしまった父の姿・・・。
夫の目には、一体どんな風に映った事でしょう。
僅か数時間の滞在ののち、実家を後にした私達。
結局、夫の口からは何ひとつとして、私の父に対して「労い」の言葉はありませんでした。
せめて欲を言えば「お義父さん、お体無理なさらずに」といった言葉掛けをして欲しかった・・・。

な〜んて、この4年間「無関心」だった夫に、今更そんな欲を持つ私がバカなんだけれど。
でも悲しかったのです。

「家族」ではなく、娘婿からの励ましの言葉・・・。
きっと父には、別の形で「薬」になってくれたかもしれません。


今までにも何度となくこのHPでも綴ってきました。
でも、4年経った今もなお、夫との「心」の「隔たり」は埋まりません。
むしろ、日に日にその溝は深まっていくばかりです。

赤の他人にそこまで強要するのは、やっぱり無理な話なのかもしれません。
そう自分に言い聞かせるしかなさそうです。



父、そして今の私達家族 U  〜1年振りの肝動注〜
◇ 2004年 秋〜冬 ◇

肝臓内の再発部位の増大。
そして、それと共に父の「気力」は日に日に低下。
その日以来、食欲は落ち込み、経口での摂取はかなり困難な状態になっていきました。
別段、燕下状態が悪いわけでもないようです。
ただ「気持ち」が萎えてしまい、食べ物が喉を通らない・・・そんな感じでしょうか。

翌週、主治医との話し合いの結果、1年近くもの間中断していた「肝動注」を再び再開する事となりました。
何とか血液データも低いながらも正常範囲であった為、1年振りとなる「肝動注」を施行。
携帯式の大きな筒状の注入器を腰に引っさげ帰宅した父。
これから48時間かけて持続的に薬剤を投与するのですが、「肝動注」に於いては、今まで目立った副作用なく過ごしてきた為、今回もさほど気にもとめていませんでした。
むしろ久々の「肝動注」に喜びすら感じていました。

が、その数時間後、今までにない嘔気が父を襲ったのです。
そして、結局夜中まで何度となく嘔吐を繰り返した父。
それまでろくに食事らしい食事すら摂れていなかった父。
なのに、今回はそれに追い打ちをかけるかのような突然の嘔吐。

急遽、夜間ではありましたが、通院先の病院へ電話をし、当直医にその旨を伝え、結局その後抜針。
その後もしばらくの間、嘔気嘔吐が続いたようですが、何とか針を抜いた事により、父は眠りにつく事が出来ました。

父にとっては散々な1日となってしまいました。
そして同時に、私達家族にとって、副作用に苦しむ父の姿を見る事がどれほど辛い事か・・・改めて身に滲みて感じました。


積極的な治療を続けていく事が、果たして父にとって最善の方法なのだろうか・・・。
ここまでして、果たしてどれほどの「延命効果」が得られるのだろうか・・・。

化学療法を第一選択肢として選び、父と共に過ごしてきた私達家族。
だけど、ふと「今」そして「これから」の事について、疑問を感じずにはいられません。


父の「ほんと」の気持ちは一体何なのだろうか・・・。
そんなごく当たり前の事でさえ、この4年間、やっぱり私はまだ父の本当の「気持ち」に理解を示す事が出来ていないのではないか・・・。

私自身の中で、様々な思いが入り交じり、複雑な気持ちでいっぱいです。
そして何より、父への申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。



父、そして今の私達家族 T  〜2004年を振り返って〜
◇ 2004年 春〜夏◇

1年もの空白があったので、この場でその後の父の病状について少し補足しようと思います。

昨年の1年間は・・・。
主として肺に埋め込んである「ポート」部分より全身療法として週に1度の化学療法を継続していました。
というのも、肝臓内の再発部位は、それまでの「肝動注」の効果が奏して、やや縮小傾向を認め、一旦肝動注を打ち切り、全身療法のみで様子を見ていこうという主治医の判断によるものでした。

が、元来の血液データの低下により、週に1度の化学療法もなかなか思うように進まず、その後、徐々に腫瘍マーカーは上昇。

念の為、昨年夏に撮った腹部CTによれば、やはり肝動注を中止していた事、そしてコンスタントな化学療法(全身療法)が行えていない為、案の定、肝臓内の再発部位の増大を認めました。

その画像を元に主治医から現在の病状についてムンテラを受けたのが、昨年の秋の事でした。

その日を期に、父の「気持ち」の糸が切れてしまいました。
生きる「気力」を全く失い、まるで抜け殻のようになってしまった父。
これまでにも大きな副作用なく過ごしてきましたが、その日以来、嘔気嘔吐はないものの食欲もまるでなく、それまで58sあった体重も53sにまでダウン。
傍目にもすっかり骨と皮の痩せきった父の体・・・。
この体重減少は本人も相当ショックなようです。
外出する際には、何枚も重ね着をし、他人に気付かれぬよう、父なりに服装には今まで以上に気を配るようになりました。
かといって「食べる」事への関心などすっかり薄れてしまい、1日1食がやっとといった状態にまでなってしまいました。
とはいえ、別段「嚥下障害」がある様子もなく、「疼痛」がある様子も見受けられません。
ただ「気持ち」から生じた「食思低下」ではないか・・・。
素人目にはそんな風に感じるがあまり、やはり父に対しては今まで以上に「栄養のある物を沢山食べて!」と躍起になってしまった私です。

いずれにせよ、やはり、出口の見えない長期化する闘病生活、そしてそれ以上に「頑張ってきた」事への「望む成果」が得られない事への苛立ち・不安・恐怖・・・。
父自身、心身共に疲れ果てているようです。


かといって、積極的治療を断念する「勇気」はなく、父はまだ治療に対して一縷の望みを持っているようです。
それは例え倦怠感が強かろうが、雨が降ろうが、寒かろうが・・・週に1度の通院だけはきちんと出向いていきました。
遙々1時間半かけて・・・。

そんな父の姿を見るにつけ、やはりまだ「積極的治療」への「思い」「願い」がある限り、父の「意思」を尊重したいと、ただただ見守ろう・・・そう思ってこれまで陰ながら応援してきました。


しかし本当に辛いのです。
外見的に衰退していく父の姿を目の当たりにする事が・・・。

これまでも決して体格の良い父ではありませんでした。
171p、58sといえば、成人男性でいえば「やや痩せ気味」。
しかしここ数ヶ月の父の外見的な変化は、やはり実家へ行く度に感じ取る事ができ、娘としてその現実を直視する事が本当に辛いのです。
と同時に、食欲低下の根底にある「原因」は一体何なのか・・・。
病状の進行?
それとも「気持ち」の問題?


そんな不安感でいっぱいだった頃、世間は「クリスマス」気分で盛り上がっていました。
私はとてもそんな気分にはなれず、子供達には申し訳ないと思いつつ、小さな小さなクリスマス会をするのが精一杯でした。