2001.1月
告知〜入院まで


2001.1.31  入院
先日の病院側の話では、1週間以上入院待ちをするであろうという事であったが、予想以上にすんなりと入院が決まり、嬉しい反面動揺もある私。

今までマイホームパパて゜あり、いつも家族と共に過ごしてきた父にとって、
やはり入院生活は不安と寂しさでいっぱいの様子。

6人部屋の真ん中のベッド。
父以外は何度目かの入院のようで、皆かなり手慣れている様子。
父にとっては何もかもが初めての連続。
これから父の入院生活が始まるのだ。
そして何より癌という病魔との闘いが始まる・・・。


2001.1.30  注腸検査
午前中K大病院にて注腸検査を受ける。
検査後、空腹感に耐え抜いた父は母を道連れにグルメの旅へ。
結局3軒の店を食べ歩き、かなり満足の様子。
「これで心おきなく入院できる」と父。

食の欧米化に伴い日本人の大腸癌の発病率が増加している。
父も決して例外ではない。
和食より洋食が好きであり、野菜は嫌う。
何度母が説得しても聞き入れなかった父。
しかし今後の入院生活や、長く辛いであろう闘病生活を思うと、
父にとってストレスを抱えることなく癌と共存できる方法を模索している私。


2001.1.29  検査食
現実に嘆いている暇もなく、父には次々と課題が課せられる。
明日の「注腸検査」に向け、今日は1日中検査食。
元々食べる事が大好きな父であり、
ろくに味もなく、食べた心地のしない検査食はかなり苦痛の様子。
しかし私としては是非ともこれからの治療を前向きに頑張って欲しいと願う。
しかし私は一体目の前の父に何をしてあげられるのか・・・。
不安と悲しさの中、冷静さを失いつつある私。


2001.1.27  束の間の休日
娘を連れて実家に行く。
父は本当に娘の事を可愛がってくれる。
初孫ということもあり、この1年間、実に可愛がってくれた。
1歳になる娘は、今では父の「特効薬」と化している。
告知以来、父の娘を見る目は実に愛おしく、何だか神がかっているようにさえ思える。
そんな時、ふと父は「俺の事なんかもう覚えてないんだろうな・・・」と。
私はこの父の言葉に、今の父の気持ち全てが凝縮されているように思った。
それまで日常の全てのものが当然の事であり、
今日は明日への単なる1日であった。
しかし余命4ヶ月といわれた父にとって、もはや1日1日は実に貴重な時間の流れである。
毎日当たり前のように見ていた景色や、私達家族とのふれあいや・・・
何もかもが限りないものなのだろうと・・・。

父はどんな思いで今を生きているんだろう。
娘を見る父の目にうっすら涙が浮かんでいる。
別れ際、私はそんな父 の顔を真っ直ぐ見ることが出来なかった。
これからもずーっと元気でいることが当然だと思っていた父。

今の私に一体何ができるのか。
帰りの電車では、娘の無邪気な笑顔を見るたびに涙が溢れてしまった。
本当に癌という病は何故これほどにも私達 家族を苦しめるのだろう。


2001.1.26  入院手続き
両親は掛かり付けの医師に紹介されたK大病院に入院手続きに行く。
やはり大学病院はいつでも大繁盛の様子。
「1週間は待って頂くことになると思います」と言われる。
私達家族にはもう時間はない。とにかく早く入院・手術が済んで欲しいと願う。


告知問題
以前私は一応医療従事者であった。
そんな私にとっては、他の一般人に比べて「告知問題」とは密接な距離にいたのかもしれない。
しかしやはり今回の件があって以来、私自身本当の意味で考えさせられた。

「告知」・・・本当に難しい問題である。
まして人の命の限界を他者から宣告される「余命告知」は深刻な問題である。
今回、父の場合は、全く自覚症状もなく、本当にあまりに突然の告知であった。
なのにそれに追い打ちをかけるように「余命告知」まで・・・。

私は「告知」には賛成である。
特に癌という病は命にも関わり、長い闘病生活を要する。
従って、本人に隠して治療を進めるのは不可能ではないかと思う。
もちろん告知された本人にとっては本当に残酷な事である。
しかし治療を受け、治そうという意欲を持つのは本人であり、
やはり告知は必要な通過点のような気がする。
しかし当然タイミングは大切である。
また患者の性格やサポート体制など・・
よく検討した上で、医師は告知をすべきであると考える。
医師にとっては日常的な「告知」かもしれない。
しかし患者にとっては人生の一大事である。
それをさも日常会話のごとく、あっさり「告知」をするのは実に問題である。

私は、父には「余命宣告」はして欲しくなかった・・・。
今となってはもう遅いことだが。
今後の告知に関しては、もっと慎重にしてもらうべく、
私は医師にその意
向を伝えるつもりである。


2001.1.25  
突然の告知からまだ数日しか経っていない。
しかし私達家族にとっては本当に長く感じる。

本日は肺の転移の有無を知るため、胸部CTを撮りに行く。

結果、現在のところ肺には怪しい陰は見られない。
一同ホッとする。
しかしCTに写る陰には限度があり、もしかしたら小さな腫瘍があるかも・・・
などといらぬ不安が頭をよぎる。


2001.1.24  家族
今日から家族の癌との闘いが始まった。
日中父は職場に一時休暇の届け出と共に、簡単な身辺整理の為、外出する。
その間に母は1人で詳細確認の為、病院へ行く。
医師曰く、やはりかなりの「進行癌」であるとのこと。
父の年齢はまだ若く、癌細胞の転移も早いようである。
今後の治療については、父はまだ若く、余生の事を考えると、
まずは手術を行い、状況に応じて各種治療を行う必要があると。

母は本当に突然の事であり、かなり気が動転している様子。
長年連れ添った夫を失う不安・・・。
両親は本当に仲が良く、私にとって理想の夫婦である。
定年をあと数年に控え、
定年後の事を夫婦2人で楽しそうに話しているのをよく見かけた事がある。
人生、本当にいつ何時何が起こるか分からない・・・。

一方、父は一体どんな気持ちで会社に出向き、そして身辺整理をしているのか・・・。
自分の余命が残りわずかと聞き、一体何をどうすれば良いというのか。
とにかく無事帰宅する事を祈る私である。


2001.1.23  CT施行
腹部CTを受ける。
やはり・・肝転移。
医師からの告知。
「大腸癌です。しかも既に肝転移をきたしており、余命4ヶ月」と。

なにぃ〜っ!? 余命4ヶ月〜っ?? 何いっとんねん!
これがその時の私の正直な気持ち・・・。
何もかもが信じられなかった。
なんで父がこんな目に遭うねんっ。
その時の私は・・・もう目の前は真っ暗、ただひたすら泣いた。。。

しかし当の本人である父はというと、
ただ医師の話を静かに聞き入れ、帰宅後も全く普段と変わりなく冷静である。
帰宅後泣きじゃくる私を見て、父はただ一言こう言った。
「お前が泣くと俺も悲しくなる」と。
その言葉を聞いた私は、自分の行為を恥じ、もう2度と父の前では泣くまいと心に誓った。

もう流す涙は何一つ残っていない。
ただ前に進むだけ・・・。
1番辛いのは当然父であり、私は大切な父の命を精一杯守ろうと決意した。


2001.1.22  イヤな予感
先日受けた便の潜血反応が陽性であった為、
本日「大腸ファイバー」施行する。
その結果「上行結腸」に腫瘍が見付かる。
しかも悪性腫瘍とのこと。

家族全員言葉を失う。
愕然・唖然とはまさにこの事だ。
私達家族は不安を抱きつつ、明日のCTに挑むこととなる。